ブログ運営者minaの詳しいプロフィール

赤石美波

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こんにちは。当ブログ運営者のminaです。

 

この記事では、私の詳しいプロフィールを書いていきます。

 

 

生まれてから小学校まで

小さい頃から、本が大好き

私は、緑が豊かな群馬県の富岡市で生まれました。

父の都合の関係で、新潟に住んでいたこともあります。

(雪がたくさん降る場所なので、よくスキー場に行きました^^)

 

両親は学校の先生で、家には図書館のように絵本や本がたくさんあります。

 

小さい頃は、両親に絵本をたくさん読んでもらいました。

 

 

小学校時代

本が大好きで内気

本がとにかく好きすぎて、福音館古典童話シリーズなんかをよく読んでいました。

 

赤毛のアン、若草物語、あとは青い鳥文庫の「パスワードシリーズ」が好きでした。

 

本と絵が好き

あまり喋らない、物静かな子で、本と友達でした。

入学したての頃は友達ができなすぎて、親から心配されました。

 

 

でも、小学校3〜4年あたりから、仲のいい友達が何人かできました。

自分で物語を書いてみたり、想像した世界を絵に描いたり、本を読むことと、絵を描くことが好きでした。

それから、母親のすすめで小学校1年生からクラシックバレエをやっていました。

人とぶつかって競争するようなスポーツは向いていないと親が思ったようで、バレエ教室を選んでくれたようです。

 

 

始めたものの、あまり面白くなくて、毎年発表会を見に来ていた母親が「もうやめよっか?」と言うほど踊るのがかなり下手くそで、やる気ゼロでした笑( ;∀;)

 

バレエが楽しくなり出した

しかし、どういうわけか、小学校5年生の時から、「バレエがめちゃめちゃ楽しい!!!!!」と思うようになり、目に見えて上達していきました。

 

中学校時代

勉強と部活

勉強は学校の定期テストと授業に真面目に取り組み、部活は小学校の頃に少しやっていた卓球部に入りました。

 

超〜、真面目な学生でした。

 

特に塾に通わない代わりに、新体操を習い事で始めました。

 

というのも、小学校の頃に、バレエの先輩が、地元の新体操の強豪高校で3年間修行して、引退してからバレエ教室に来たんですね。

 

そのオーラというか、輝きに圧倒されてしまって、「私もああなりたい!!!!」と強く思いました。

 

 

その先輩と同じ高校の新体操部に入りたいなと思いました。

 

ある日、庭で家族とバーベキューをしていたら、隣の家の人が、「minaちゃん、今度近くに新しく新体操クラブができたみたいだよ」と、知らせに来てくれました。

 

高校の新体操部に入る前に、やりたい!!と思ったので、中学生のうちから新体操教室に通うことにしました。

 

新体操は大変な競技だった…!

しかし、いくらバレエの基礎があるとはいっても、新体操は新体操で別物でした・・・。

 

なぜなら、「手具」という、フラフープやリボンなどの道具を扱いながら踊らなければいけないからです。

 

 

経験の長い、周りの子たちとの力の差を感じながらも、私は私で「やってやろうじゃないか!!」とやる気だけは人一倍でした。

 

 

家の庭で毎日、新体操用のジャンプや縄跳び、フラフープを投げる練習をしたり、家の中で空気椅子や腹筋のトレーニングをしたり、座布団を敷いて前転の練習をしたりして、祖母がいつも目を丸くしていました。

 

家の周りを走り込んでいたら、それを学校の先生が見ていて私に声をかけたらしいんですが、全く気づかなかったみたいで・・・。当時は新体操が上手くなるために必死でした。

 

 

とにかく周りに追いつくために、思いつく限りの事は全部やりました。

 

高校時代

高校時代は、バレエの先輩が通っていたところと同じ、地元の新体操の強豪校に入りました。

 

なんと、入学する前の春休みから練習がありました。

 

超スパルタな部活で、練習漬けの日々。

 

当時どんなスケジュールかというと、朝は7時から校庭のトラックを走り込み、毎日タイムを計って記録。そのあと腹筋などのトレーニングや種目の練習。

授業を受け、1時間目が終わったあとの休憩時間に急いでお弁当を食べて、2時間目が終わったら昼練習もみっちりやって、午後も授業を受けて、放課後は夜の7時まで練習。

 

 

土日も休まず1日中練習。

 

冬は手が乾燥するので、フラフープをお互い投げて交換する練習では、相手から来たフラフープを掴んだ瞬間、手から血が出たり・・・

 

冬はロープ(縄跳び)の基礎練習で、体育館の縦の端から端まで二重跳び、途中で終わったら最初からやり直しルール、などなど・・・

 

今考えたら度肝を抜くようなきついトレーニングを毎日やってました。

 

片方の足の筋力を使いすぎて、「minaちゃん、右足と左足の太さが全然違うよ?!」とクラスメイトに言われたこともありました。

 

 

あとは、前髪を出すのが禁止だったので、毎日ポニーテールをしていたら、髪の毛が少し禿げたりしました( ;∀;)

 

 

中学生の時は、県の大会でビリになって愕然としたこともありましたが、高校でめちゃめちゃトレーニングして、県で1番になり、個人競技・団体競技両方で念願のインターハイに出ることができました^^

 

 

大学時代

打ち込めることが見つからず苦悩の日々

 

高校時代に新体操をやりすぎて燃え尽きてしまい、特に新体操はもうやりませんでした。

 

ダンスのサークルに入ってみましたが、ゆるっとしていて、なんだか性に合わず、どの部活もサークルも長続きしませんでした。

 

アルバイト

アルバイトは、家庭教師、ファミレスの接客、スーパーのレジをやっていました。どれも、社会勉強になりました。

 

教育学部を出ても教師になる気にならずに就活

教育学部に来たものの、自分が教師を職業にするイメージが湧きませんでした。

 

もっと社会を広く経験したい!と思い、就活開始。ほぼ全員が教員になる空気の中、一人で就活。

 

就活を始めてから、大学4年生の春に、金融機関から内定をもらいました。

 

大学の授業の単位もほとんど取り終わっていたので、内定をもらってから何をしようか迷いました。

 

「一番身近でこれからも役立つことを、極めてみようか」と思ったので、料理を始めてみました。

この辺りから、私の料理好きが始まります。

 

 

社会人1〜3年目

地元の観光大使

とにかくいろんなことにチャレンジしたいタイプだったので、

地元の観光大使にチャレンジしました。

 

 

オーディションを受けて無事に合格し、「富岡シルクレディ」のタスキをかけて、いろいろなところで富岡市の宣伝をしました。

圓尾和紀 彼女

@JR上野駅にて

 

 

3年間観光キャンペーンレディをやっていたのですが、その間に富岡製糸場が世界遺産登録されました。

観光キャンペーンレディをやってよかったと思うことは、綺麗な衣装が着られることと、県外に市の費用で行けること、それから何より、自分の地元について詳しくなったということです。

 

 

最後の年は、新聞記事で月1回、地元の魅力を紹介をする仕事もしていました。

 

ミュージカルに出てみた

 

会社だけの人間関係では物足りずに、100人で100日だけやるミュージカルに参加しました。

 

バレエと新体操の経験があったので、踊りがメインの役に選ばれました。

圓尾和紀 彼女

 

このミュージカル「A COMMON BEAT」に2年間参加して、すごく楽しくて、素敵な思い出を作ることはできましたが、ここでいろいろな職業や年齢の人に出会ったことがきっかけとなり、

 

「本業で別の仕事をしながら週末で楽しいことをするより、本業が趣味であり、趣味が本業な人になりたい」と思うようになりました。

 

3つの趣味をもつものの、どれも中途半端

社会人になってからは、声楽・料理・写真が趣味でした。

 

どれも楽しかったので続けていましたが、当然平日は金融機関で仕事。

 

休日も金融関連の資格取得のために勉強したり、研修に行ったり。

 

なかなか3つの趣味を満足にできることはなく、結果どの趣味も腕が上がりませんでした。

 

せっかくやるなら、効果や結果を出したい。

 

そして、いずれ仕事に繋がるもの、なおかつ、自分の得意なものに絞ろうと思い、「料理」をメインにしようと思いました。

 

カメラはサブ。風景や人は撮れなくていいから、料理を美味しそうに撮ることだけに力を尽くそう。そう考えました。

 

料理ばかりやるうちに、どんどん料理にハマっていき、新体操のように打ち込めることを、やっと探し当てた気分でした。

 

 

そして、定年退職など関係なく、一生、料理を仕事にして生きていきたいと思いました。

 

 

「何時間やっても飽きなくて、楽しくて、それでいて、人の役に立つこと・人からすでに良い評価をされていること」

 

 

これを一生仕事にしていきたいと思った時に、当時の金融機関の仕事は当てはまりませんでした。

 

 

料理に集中した方が、自分は伸びる!なんとなく、新体操の時の成功体験が重なりました。

 

 

好きな料理は何時間でも研究できる確信がありました。

 

 

そしてせっかく勉強するなら、料理や食と健康の関係について学びたいと思い、栄養士になろうと思いました。

 

 

料理や栄養学、健康と食べ物の関係について本腰を入れて勉強するため、仕事を辞めて専門学校に入学する決意をしました。

 

栄養士専門学校を首席で卒業

金融機関を退職し、栄養士の専門学校に通って猛勉強し、首席で卒業。

 

在学中は、大戸屋の厨房で料理を作るアルバイトをしたり、料理代行や料理教室の講師、イベントでの調理担当、栄養学のライターなど、とにかく頭と体に技術・知識を詰め込みました。

 

卒業後は栄養士として就職し、プログラミングとWebデザインを学び仕事に。現在は、自分が学んできた栄養学や料理・健康について、このブログで発信しています。

 

今やっているブログを通して、一人でも多くの人が、

 

「私も料理やってみようかな?」

「食って、面白いな!」と思ってくれたらうれしいです。

 

赤石美波

ブログ管理人 赤石美波(あかいし みなみ)

 


mina オフィシャルブログ

「にほん美人をつくるブログ」

 

 

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